塩野毘沙門堂の鳥居跡
日本には、かつて神仏混合の思想があった。神仏混合とは神祇と仏教の融合であり、本地垂迹説など様々な形で神と仏が長い間、共に共存してきたのである。山形県では特に出羽三山が有名で羽黒山に至っては山頂にある合祭殿(本殿)に観世音菩薩(羽黒)阿弥陀如来(月山)大日如来(湯殿)の三仏が祀られtてきた。その他、五重塔には軍荼利明王と妙見菩薩や他諸堂にも数多くの仏像が祀られ祭祀されてきた。
ここ、塩野毘沙門堂も例外ではないかも知れない。
古くから信仰され、時の藩主からも厚い保護を受けた塩井の総鎮守とされる福徳毘沙門天。
下の写真は神域を表す鳥居の跡である。
仁王門へ至る参道入ってすぐ左右に見つける事が出来る。大鳥居とまで行かないが確かに鳥居があった事が確認できる。
いつの時代から鳥居があったのかまったく不明であるが、同様の跡はこの近くの薬師堂でも確認できた。
塩野毘沙門堂を描いた最も古いもので「米陽八景・宮井の夜雨」元禄時代の毘沙門堂が描かれている。また寛政七年に描かれた「黒井堰絵図」においてはしっかり鳥居が描かれている。 江戸時代には確かに誰かが寄進した鳥居があった事が伺える。
しかし何処の地域も同じ神仏分離令と廃仏毀釈の荒波はこの塩井にも吹いたのであろう。その鳥居は台座石を残して忽然と姿を消したのである。
この事を深く記録し後世に伝えて行かなくてはならない。
神仏混合の名残であろうか仏堂としては珍しく神輿渡御が毎年行われている。
そこに当時の名残りを感じずにはいられない。