毘沙門堂

米沢市にある塩野毘沙門堂の事が中心

毘龍水

毘沙門堂境内には弁天池がある。 その満々たる池に映し出される毘沙門堂の姿は非常に美しいもので、その景観が楽しまれている。 その弁天池に豊富な水を注ぎ続けているのが、「毘龍水」(びりゅうすい) 塩野毘沙門堂の最大の特徴である須弥壇下の井戸と毘龍…

毘沙門堂境内にある弁天堂

塩野毘沙門堂境内には大きな池がある。毘沙門堂の地下水が注ぐ清水は新緑の毘沙門堂の姿を美しく映し出して参拝者を迎えてくれる。 この池の名前が「弁天池」。 仁王門を潜り左に弁天池を見ながら、その左には小さな見世棚造り。間口奥行き共に四尺の小さな…

塩野毘沙門堂の鳥居跡

日本には、かつて神仏混合の思想があった。神仏混合とは神祇と仏教の融合であり、本地垂迹説など様々な形で神と仏が長い間、共に共存してきたのである。山形県では特に出羽三山が有名で羽黒山に至っては山頂にある合祭殿(本殿)に観世音菩薩(羽黒)阿弥陀…

毘沙門天の梵字

毘沙門天の梵字はサンスクリット語(梵字)の「ベイ」である。 ここ塩野毘沙門堂も同様であるが、奉納されている梵字を見てみると実に珍しい梵字を見る事が出来る。 この軸はいつ頃のものか定かではないものの毘沙門天を祀る祭壇の頭上に掛けてあったものだ…

毘沙門堂の絵馬

塩野毘沙門堂には、あまり古い物は見当たらないが、数点の絵馬が確認できる。 最も古い絵馬では「曳馬の図」で寛文5年(1665)の奉納の絵馬である。 この時より明治時代に至るまでの間、多くの絵馬が奉納されている。 この絵馬は今でこそ堂内に飾られている…

消えた棟札

塩野毘沙門堂の創建は大同4年(809)という大変古い由緒がある。 しかしあくまで伝説・口伝の域を出ないのは残念なことです。米沢市に現在伝わる古刹には毘沙門堂のように大同年間創建とされる場所が数か所あるが、毘沙門堂同様なんらかの理由で古記録を失…

米沢城と塩野毘沙門堂

米沢という場所は上杉の城下町として知られている。 上杉氏が入る以前は蒲生氏ー伊達氏ー長井氏と遡って行きこの長井氏がこの付近を統治していた鎌倉時代中期の暦仁元年(1238年)頃、米沢城(館か・・)が築城されたと伝えられているのが通説。 しかし、こ…

本尊毘沙門天開眼僧の謎

法相宗の徳一上人と天台宗の安然大師 塩野毘沙門堂の由来は大同四年(809)徳一上人が行脚の途中この地に立ち寄り霊夢を見て多聞天尊像を一刀三礼にて刻み小堂に納めた。というのが通説になっている。 徳一上人は奈良仏教を基盤に会津地方を中心として活躍し…

塩野毘沙門堂

塩野毘沙門堂 山形県米沢市塩井町塩野字安念地内に鎮座しているのが福徳毘沙門天を本尊として祀る塩野毘沙門堂。 伝承縁起によれば大同四年(809)会津の名僧 徳一上人が諸国行脚の途中、この地に立ち寄り、一刀三礼の毘沙門天像を刻み小堂に安置したのが始…